末期肝臓がん闘病記

末期の肝臓がんの転移を含めた症状や治療法、名医との出会いについての闘病記

闘病記―末期肝臓がん治療の問題点


ガン治療に最も効果的な食事法

末期肝臓がん治療することになって一つ後悔していることがあります。人生において、過去にまったくこだわりがないなどということはありえませんし、私にも記憶がある以上、それは同じことです。ただその中でも、忘れることのできない深刻なものもいくつかあり、その一つがこの末期肝臓がん治療にまつわる問題です。

もはや常識になりつつありますが、早期に発見しておけばそれだけ症状が悪化して他の内臓に転移してしまうのを防ぐことができますから有効なわけですが、そのためには定期的な検査を行うとか、体調に異常を感じたらすぐに検診に行くという対応が必要です。頭では分かっていても、実際に行動にはなかなか移せないのが人間です。私自身、定期的な検査を受けてもいませんでしたし、結果として症状が悪化してからの発見となり、末期肝臓がん治療するという自体に陥りました。

生活習慣を思い返してみると、ほとんど休みなく毎日アルコールを飲んでいましたし、それを若い頃から続けていたのですから、原因が自分の行動になかったとは言えません。ただ、少なくともこれまでは大きな病気にかかったこともなく健康に暮らしてきましたので、そこに油断があったのかもしれません。周囲に休肝日を設けるように勧められても、楽しみがなくなるからと毎晩の晩酌を止めることなど真剣に考えることもなくアルコールの摂取を長年にわたって続けてきました。

実際に末期肝臓がんを患って、治療を中心とした生活に一変した今となっては、若気の至りという一言ではすまない暮らしを送ってきたと悔やまずにはいられません。せめて検査を年に一度でも受けていれば、もう少し自体は好転していたはずです。ここまで症状が進み、転移も起きてしまっているとなると、いくら治療したところで効果は限定的だそうです。

延々不摂生を続けてきたのですから、当然の帰結といえばそれまでなのでしょう。もし他人がそのような愚痴をこぼしていたとしても、健康な頃なら自業自得だろうと一蹴していたことでしょうし、それだけの落ち度があるのでは悲劇だか喜劇だかもわかりません。末期になるまで十分な治療もせずに肝臓がんを放置しておくなど、愚の骨頂と言わざるをえません。

もしもタイムマシーンにでも乗って若い頃の自分に会うことができるのなら、週に2日はアルコールを飲まない日を作ることと、定期的に検査を受けるように忠告するのでしょうが、それを若き日の彼が聞き入れるかははなはだ怪しいものです。妙な男のたわ言として聞き流してしまうというのが、予想される反応でしょう。
結局、治療は肝臓がんが末期になってから行うというのが私の運命なのかもしれません。

ありがたくはない宿命ですが、すでにその状況に置かれている以上、現実逃避をするわけにもいきません。ただでさえ転移は進んでしまっているのですから、放置しておけば余命が縮んでいくのは明らかです。末期肝臓がんの治療に画期的な方法が開発されることを心の片隅で期待しながら、いつのまにかすっかり慣れた病院の消毒用アルコール臭い廊下を歩いている日々です。

闘病記を読んでいると、名医とであったことで劇的に症状が回復するという話も出ていますが、そもそも名医がどこにいるのかも知りません。それに、名医だってマジシャンではないのですから、すっかり転移が進んでしまった症状をぱっと消し去るというわけにはいかないでしょう。末期の肝臓がんを治療してくれれば、いくらかは寿命が延びるのかもしれませんが、そのために残された人生の大部分を使ってしまうことには抵抗があります。

手品師のように怪しい格好をした医者が出てきたら警戒しますが、担当医は付き合っている限りまともに医者らしい風格を備えていますし、特別問題があるようにも見えないので、このままでいいように思っています。少なくとも、これまでの経緯を知っているという長所がありますし、末期肝臓がん治療についても動じずに対応してくれているので、あえてこちらから他の医者に鞍替えをするような理由は見つかりません。

誰しも永遠の命を手にすることはできませんし、限られた時間をどのように生きていくかが人生の価値だと考えるなら、今さら悪あがきをするよりも、末期に至った肝臓がんを治療しながらも、毎日の暮らしを大事にすることが自分に与えられた使命のような気がします。世間に大きく貢献できるような大事業を起こす能力などありませんが、誰かが誇りと尊厳を持って暮らしていれば、それがほかの人にも影響を与えて伝染し、やがては社会を変えていくのかもしれません。

そう考えると、私の人生は死を待つだけの受け身のものなどではなく、最後の炎を燃やすために賢明に生きていく価値があるものだということになります。転移は恐ろしいことではありますが、末期肝臓がんを治療しながらでもこれだけ充実した暮らしを送ることができるのだという証明をするためにも、私は病に屈するわけにはいきません。