末期肝臓がん闘病記

末期の肝臓がんの転移を含めた症状や治療法、名医との出会いについての闘病記

闘病記― 末期肝臓がんと名医との出会い


ガン治療に最も効果的な食事法

末期肝臓がんになり名医を探そうという気力もなくしかけていた頃、初めに検査を受けた病院では十分な治療や手術が受けられないということで、転院を余儀なくされました。最初の病院に思い入れがあったわけではありませんし、偶然検診を受けただけのことですから、特に気にもとめずに承諾したのですが、今になって思えば、それが名医と出会うきっかけとなったのです。

完治は困難と診断された末期肝臓がんでも名医が治療を行ってくれたら、話は変わるかもしれない。それは心の片隅に残されていた淡い希望でした。何かのドラマか映画で見たような、奇跡が自分の身に起きないと断言できるだけの根拠はありませんから、期待することがばかげているともいえないでしょう。

転移も進んでいましたし、自ら積極的に末期肝臓がんの名医を見つけようという気持ちはなかったのですが、転院先で担当してもらうことになった医師と話しているうち、心が和んでいくのを感じていました。死が遠い未来のことではなく、身近に感じられるようになった時、世界有数の平和と安全を誇る日本にいながら、戦場にいるような焦りと緊張感を強いられていたのに、少しだけ圧迫感が薄れたのです。

その医師は過去にも同じように転移が認められる患者を看てきた経験があるということらしく、私の心情についても理解を示してくれました。末期肝臓がんの名医の条件として、患者と真摯に向き合い、理解しようとするという項目があるなら、間違いなく合格でしょう。

なかば病院などどこでもよいと自暴自棄になりかけていた私にとって、この医師の存在は大きな支えになるであろうことは、初日に予感したことです。検査結果を受けた時と繰り返し部分になるかもしれない、と前置きをして語り始めた症状や転移の状態については、以前のものと大差あるものではありませんでしたが、打つ手のない状態ではないという話です。

いくら名医でも末期肝臓がんは治療できないものだと思い込んでいた私にとって、これは朗報でした。手遅れだと診断されれば救いがありませんが、生存率が高くはないながら、可能性はあると告げられれば、そこに希望の光を見出すことができます。

抗がん剤を使った化学療法や、外科手術、放射線治療などが基本的な治療法としてあるそうです。聞きなれない言葉ですが、エタノール注入療法や肝動脈塞栓法というものもあるらしく、これらは比較的初期症状の時に使われるのが原則ということです。さらに、動注化学療法とインターフェロン併用治療や、経皮的肝灌流化学療法という方法も開発され、実用化されているということで、治療方法については現在でも進歩が続いているようです。

このように、たとえ末期肝臓がんでも名医と出会い、上記のような多彩な選択肢から最適なものを組み合わせることにより、余命を延長することや、うまくいけば健康を取り戻すことさえ不可能ではないということを聞き、それだけで元気になりました。もう駄目だ、という諦めが人生を行き止まりへと導き、自ら限界を設定してしまうのでしょう。

アルコールの摂取が原因の一つというのは常識ですから、今では当然飲酒はしなくなりましたが、もう少し若いうちに思い切って禁酒をしておけばよかったと思います。名医が言うには、完全に禁酒しなくても、週に2日休肝日を設けることや、節度を保つだけでも違うそうです。

毎日浴びるようにアルコールを口にしていれば、体に無理がたたるのは当たり前のことで、浴びるようにとは大げさにしても、少なくらず毎日欠かさずにアルコールを摂ってきた代償が、ここに来て末期肝臓がんという形で現われたのでしょう。

必然的な結果でありながら、心の片隅では憤りを感じています。「なぜ自分が?」という自分勝手な思いは消え去らず、事故に巻き込まれたような気持ちなのです。アルコールを初めとして、生活習慣に問題があったのは間違いありませんが、その結果としてこれだけ重い病気を背負わされることになったのではたまりません。

そんなささくれだった気持ちを癒してくれるのも、末期肝臓がんの名医です。冷静でいながら親身に考えてくれていることが伝わってくる姿勢は、一見相反するようなのに、どういうわけか調和しているのです。これまで積んできた経験や人格がにじみ出ているということなのかもしれません。

検査を受けた時の病院の医師は、決して事務的というわけではなかったのですが、告知を行った時は戸惑いを隠せない様子でした。できるだけ早く他の病院に移して、自分の責任を果たしたい、動揺や混乱はその後にしてほしい、という気持ちが見え隠れしていた印象があります。

それに対して、末期肝臓がん患者を目の前にして、名医は見放すことなく、それぞれのエタノール注入療法や肝動脈塞栓法を初めとした治療法について、一つ一つどのような長所と短所があるかを懇切丁寧に説明してくれ、症状との相性についても教えてくれました。その態度を目の当たりにすることで、十分闘病生活を送っていけるだけの余地が残されていることを確信しました。

ただ少しばかりの延命をするしかないのなら、詳細な解説は必ずしも必要ありませんし、まして手術をした場合の術後の経過や、入院期間等、仔細な条件までの説明はしないのではないでしょうか?末期肝臓がんの名医として、これだけの方法があるのだから、がんばって生きていきましょうというメッセージを発してもらったものだと、私は受け止めています。

不思議なもので、まだやれる、という自信を持っていると、体の奥から生命力や自然治癒力が湧き起こってくるような気がして、このままがん細胞に負ける気がしないのです。この体は自分のもので、きっともう一度健康を取り戻せると思えた時、闘病生活は苦しいだけのものではなくなります。

いくら名医とめぐり合えたとはいえ、けっして楽観できる状態ではありません。まだスタートラインに立っただけという考え方もあるでしょう。それでも、確実に前進できたという自信を持つことができたのです。